秋学期がはじまった関西大学の「ジェンダー論」

2008年10月3日(金)秋学期最初「現代社会とジェンダー」の授業が終わったところである。春より受講生約2倍になり150名を越えている。机なしの学生が10数人いる。男女比率はほぼ同数、満員である。
今日のテーマはM字型就業形態。教材は本日の朝刊、朝日新聞(「働けど・・・悲鳴聞いて」)と読売新聞(女性の再就職、広がる支援)の記事を使う。まずジェンダーとは。「この教壇の高さは私には高すぎます、埋もれているようです、昨年度までの教室ではホワイトボード(黒板)も上から50センチぐらいは手が届かず、前の授業の書き残しが消せませんでした」、「反対に台所のシンクはうちの場合、夫には低すぎて、腰が痛いといつも嘆いています」。これって、大学の教壇は男性の背丈に合わせ、家庭の台所のシンクは女性の背丈に合わせているのですよね。今は両方が使うことが多いのにね、といいながら始める。自己紹介もする。
ジェンダー論は、自分の生き方と教育内容が一致していないと本物にはならない。男女が公平に生きられる社会が望ましいという考えを持ち、生き方、行動を貫いている人間しか教壇には立ってはいけないとずっと思っている。なぜならジェンダー論は生き方を問う学問だから。
毎回、感想出席小文を書かせるようにしている。初回の感想では、「今後の授業が楽しみだ」とか、「女性に対する冷遇や社会的立場の低さは、ある種当然だと感じていたが、改めて考えるとひどい。少しでも改善しなければ」とか「男の先生と違いストレートの説明なので、非常にわかりやすかった。格差は残念だ」とかの積極的な文章が多い。男子学生も半数以上を占めているが若い男性は日本の行く末もきちんと見えているように思う。家族を養って家長たる地位を維持するなんていう時代ではないと実感している。ただ多くの男性は、未だ無自覚なまま、身近にいる女性に依存しながら生きている。家庭でも職場でも、地域でも。男性自らが女性の抱えている問題への想像力を働かせ、ジェンダー問題を自覚し、女性学(ジェンダー論)とともに共存したいものである。
