新しい“うねり”を奏でてほしい(2)

   

85年を生きた。今なおNPOと女性の活躍を熱望する日々
最近の絵画作品を紹介しながら(2025年度第78回女流画家協会展入選)

1 生後40日「無認可保育園」へ初登園

長男誕生の日は、暖かい大阪には珍しく、病室の外は一面の銀世界でした。1970年3月20日のことです。私は在学中でした(修士2)。「ああ、この子に保育園が間に会った!」と心から安堵しました。思えば3年近くの活動が続きました。ほぼ毎月の対市・対区交渉では「公立保育所をつくってほしい」「産休明け保育を増やしてほしい」「せめて妊娠中からの受付を開始してほしい」「保育時間の延長」などなどがテーマでした。しかし「前向きに善処します」しか回答がなく絶望的でした。そこでもう私たちは無認可共同保育所づくりの活動に舵を切っていました。毎月日曜日にはトラックで区内の隅々まで廃品回収のお願いに回り、少しずつ資金を積み上げていました。ストッキングなどの物品販売活動も順調でした。長男の誕生に間に合わそうと多くの仲間が力を合わせて頂き、市営住宅の一室を貸して下さる方も出現し、ベビーベッドや新しい布団も手作りして頂き、保母さん(保育士)を引き受けてくださる3人(保育2人・給食1人)も確保されました。いよいよ長男誕生の翌日には最終の打ち合わせ会議が行われました。ホヤホヤのパパが雪の中を出かけました。

2  保育園に名前が付いた。「ありんこ保育園」

この保育園には名前がまだありませんでした。大阪府下8番目にできた無認可共同保育園です。遊具もありませんでした。あったのは保母さんと父母を結ぶ24時間を刻んだ連絡ノートと毎週土曜日6時半から全員で保育についてのすべてに亘って話し合う運営委員会ができていたことでした。この日はいつも保母さんが作ってくれるカレーを夕食に(最初は50円でした)全父母、保育士が集まります。どんな子どもに育てたいかということも話題でした。幼児語を使うべきかどうかとか、この現場で子どもの事故が起こったらどう受け止めればいいかとか(当時うつ伏せ寝でとかベッドに首が挟まれてとかの死亡事故が報道されていました)、どれもこれも身を詰まされる問題ばかリでした。
ここでの父母全員参加会議での父親たちは「子育ては母親に任せたんだから」などの発言は全くありませんでした。家事も子育ても仕事もともに分かち合っているカップルたちでした。そこが違うんだなと私は納得していました。「ともに育ちあう仲間たち」というとても心地よい地平でした。

3 ベビー用メリーゴーラウンドのこと

2か月がすぎたころ、保母さんから「ここにメリーゴーラウンドがあったらなー」と声がかかりました。私は「うちに2つあるから1つもってくるわ」と即答しました。お祝いにもらったメリーゴーラウンドは豪華さにおいて、オルゴールの音色について格段の違いがありました。私はどうして素直に豪勢な方をもって来ようと思えないのか、そのわだかまりについて考え込んでしまいました。バスを乗り越したり、定期券を紛失したり等が続きました。長男が昼間の大切な時間、仲間たちと過ごす場を大切だと思うなら豪勢な方をもっていこう、これだけの結論が明確になるころには、私の保育観もようやく変化していました。私の中にもやっぱり『子どもは母親が育てるべき』論がちらりほらり残っていて、「私だったらああはしないのにとか、もう少し~してくれたらいいのに」とかの保母さんへの八あたりの気持ちが沸き起こることがあったのです(家でその埋め合わせをしなければとか)。しかし、子どもが仲間と育つ重要性が肌感覚で分かるようになると、保母さんへの信頼がフツフツと沸きあがってきました。これは私の社会活動への大きな転換点になった出来事でもありました。一番いいものを仲間とともに分け合おう!! 信頼できる仲間のいる幸せを大事にしようという思いです。

4 みんなで決めて行動するという民主主義の鉄則
産休明けの共同保育所の運営は、なにごとにつけても初めてづくしで、毎日新しい事件が起こりました。父母と保育者で利害対立もありました。ボーナスの季節、保育者から家計簿持参で要求が出ました。「3万円の給料で家賃と食費と医療費で毎月赤字です。せめてボーナスは赤字補填にと思っているのに」と。父母からもすかさず反論。「私らボーナスなんてないですよ。でも給料の1割を保母さんのボーナスに出しました。バザーも物品販売もこれからやりましょう、でも遊びに行っての怪我になんで父母が治療費を出さないといけないの?」等など、無認可ゆえの資金難で、疲れ果てるばかりの激論がありました。父母にも、女性が働くことと子どもが集団保育で育つことをまっ正面から肯定している人ばかりではありませんでした。そのあたりから意見が分かれる場合も多々ありました。ご近所から騒がしいからと立ち退きの抗議が起こったことがありましたが、騒音をお詫びして対策をとるとしても、保育園の重要性をきちんと説明して協力をお願いする動きになり切れないところがありました。住民運動の難しいところを経験しました。その後、私たちは「認可保育園」の申請をする運動を始めることにしました。「家庭保育」の申請ではなく「認可保育園」を目指しました。みんなで考えて、行動すれば何が起こってもなんとかなるという安心感が根底にあったのは、毎週の全員ミーティングに信頼を持てたからだと思います。この「ミーティング」の手法は職場での活動(労働組合活動も含めて)が地域の活動に活かされたいい例だと感じていました。

5 会議の進め方には司会者がポイント
ここで、会議の進め方を再度おさらいしてみます。会議を効率的・効果的に進めるには、事前準備も重要ですが、当日の司会進行役の役割がことのほか重要です。司会進行役は会議の目的やゴール、議題、参加者を限定し、発言時間の調整、会の開始・閉会時間を厳守します。それを参加者全員が理解できているようにします。またアイスブレイクや自己紹介などで話題の提示や質問を誘導し、発言者の意欲や気運を高めます。会議では全員が意見交換をできるように工夫し議論を活性化させます。最後に、結論をまとめ、決定事項を共有します。これも極めて重要です。司会進行の役割で会議の進行スピードや議論の質が高まり、参加者のモチベーションや満足度が高まり、行動への意欲と民主主義の重要性を肌で理解できるようになります。

私はその後のNPO活動にも、政府・自治体の審議会の座長や大学での講義や女性センターでの講演などには、この共同保育所の土曜ミーティングの司会役割をそのまま踏襲していました。私にとってもきわめて重要な、誇れる資産でした。そしてそれぞれの場の成功比率はとても高いものになりました。私が共同保育所の運営に係わって、大きな影響を受けたのは、このミーティングの手法ともう一つは、事業の経営やマネージメントの手法です。その後事業型NPOをめざしたとき、経営理念やビジョンの確立や日々のマネージメント力などの重要性を再確認しました。基本的には事業経営ですから同じなのです。

6 おさらい 会議司会者の役割
ここで、会議司会者の役割を再度おさらいしてみます。
●会議の議題、目的、ゴールを明確にし、参加者と共有する
●発言は決定権限のある参加者に限定する
●会議の開始時間・終了時間を厳守する(最初の挨拶、最後のまとめも)
●ファシリテーターの兼務(場の雰囲気、参加意欲・質疑の質の高揚)
●発言時間を公平に確保し(一人1分程度)、全員から意見を引き出す
●常に中立の立場を貫く
●結論を出すことを急がない

7 「ありんこ保育園」のその後の発展
無認可共同保育所「ありんこ」は、その後大きな発展を遂げています。現在は、当時とは場所が変わって設置主体は社会福祉法人で、産休明け(0歳~2歳)の小規模保育園(30人)と0歳~5歳児(99人)の保育園の2つの事業体になっています。継続発展させていただいた皆様に深く敬意を表します。
(https://www.aus.co.jp/u/shirokita/arinko/index.html)

このブログを書くにあたって1973年3月の発行されました「よい子を育てる会会報YWCA大宮センター」第6号の金谷千慧子の「無認可保育所からYWCA託児所へ」の文章(p37~42)を参考にしました。1970年代では「保育士さん」という職業名がなかったものですから『保母さん』を使っています。その上あれほど多くの生活時間を保育園の運営にかかわったのに当時の現場写真が一枚もないのです。ほんとにゆとりがない毎日だったなーと、思い返しています。
8 私の絵画作品を紹介(2025年度第78回女流画家協会展入選)
今回は花をテーマにしようと決めていました。ひまわりの花芯を地球に見立てて、地球の破壊を警告する絵にしました。地球の温暖化による生態系の破壊は人間だけの問題ではありません。花たちは「二酸化炭素の排出を止めて!」「森林破壊をやめて!」と叫んでいます。

 

2025年6月6日 東京都美術館にて撮影 F100号「花たちの言い分」

 - NPO, 社会運動

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