秋学期がはじまった、関西大学の「ジェンダー論」

      2014/10/06

2008年10月3日(金)秋学期最初「現代社会とジェンダー」の授業が終わったところである。春より受講生約2倍になり150名を越えている。机なしの学生が10数人いる。男女比率はほぼ同数、満員である。

今日のテーマはM字型就業形態。教材は本日朝刊の記事の朝日(「働けど・・・悲鳴聞いて」と読売(女性の再就職、広がる支援)を使う。まずジェンダーとは。「この教壇の高さは私には高すぎます、埋もれているようです、昨年度までの教室ではホワイトボード(黒板)も上から50センチぐらいは手が届かず、前の授業の書き残しが消せませんでした」「反対に台所のシンクはうちの場合、夫には低すぎて、腰が痛いといつも嘆いています」。これって、大学の教壇は男性の背丈に合わせ、家庭の台所のシンクは女性の背丈に合わせているのですよね。今は両方が使うことが多いのにね、といいながら始める。自己紹介もする。

ジェンダー論は、自分の生き方と教育内容が一致していないと本物にはならない。男女が公平に生きられる社会が望ましいという考えを持ち、生き方、行動を貫いている人間しか教壇には立ってはいけないとずっと思っている。なぜならジェンダー論は生き方を問う学問だから。

毎回、感想出席小文を書かせるようにしている。初回の感想では、「今後の授業が楽しみだ」とか、「女性に対する冷遇や社会的立場の低さは、ある種当然だと感じていたが、改めて考えるとひどい。少しでも改善しなければ」とか「男の先生と違いストレートの説明なので、非常にわかりやすかった。格差は残念だ」とかの積極的な文章が多い。男子学生も半数以上を占めているが若い男性は日本の行く末もきちんと見えているように思う。家族を養って家長たる地位を維持するなんていう時代ではないと実感している。ただ多くの男性は、未だ無自覚なまま、身近にいる女性に依存しながら生きている。家庭でも職場でも、地域でも。男性自らが女性の抱えている問題への想像力を働かせ、ジェンダー問題を自覚し、女性学(ジェンダー論)とともに共存したいものである。

081009001

 - ブログ

  関連記事

2005年10月
第75回(2022年)女流画家協会展に「プラハの街」入選しました

今年も女流画家協会展入選しました。初めて応募してから連続5年です。 「女流画家協 …

2回目の出版記念シンポジウムが終わりました

  東京につづいて、3月28日(木)夕刻から第2回目の大阪での出版記念 …

だいじょうぶでしたか?  ―熊本大地震に寄せて

昨夜の警報で熊本市での震度7の地震を知りました。懐かしい熊本の友人の安否がとても …

no image
地熱発電こそ普及したい! 原発より強かった 東北地方の地熱発電所

3年前最初に宿泊したウイーンのホテルのすぐ近くに地熱発電所がありました。温泉があ …

みなさまもお気をつけあそばせ!

2週間アメリカへ行っておりました。西海岸のサンフランシスコに1週間、それからニュ …

雛祭りという優しいひびき

「おひなさま」には、なんとも言えない懐かしさと優しさが響き合います。女の子だけに …

新年あけましておめでとうございます

新年おめでとうございます。ご活躍を祈念します。 今年もお付き合いの輪が広がります …

プーチンはロシアの自壊と世界を破滅に向かわせている

プーチン大統領は2022年2月24日にウクライナ侵攻作戦を発動、ロシア軍が対ウク …

夫の死にあたふた(1~3)

  夫死亡、コロナ禍の手作り葬儀、新しい葬儀の時代がくるか 弁護士の夫 …