Tシャツのウクライナ大統領「ゼレンスキー」
2022年2月24日からプーチンのロシアによるウクライナへの軍事侵略が始まりました。その後連日連夜、此の世のものとは思えない残虐な殺害行為が繰り返されています。私たちは、そんな報道の中でウクライナのゼレンスキー大統領が、「Tシャツ」姿で取材に応じたり、演説しているのをみてきました。私もアレーって思ったことが何度もありました。それも「カーキ色」「半袖」のラフな服装なのですから、非常事態とはいいながら各国のトップ政治家に悪い印象を与えないのだろうかと懸念しました。ところが実際はそうではなかったのです。権威主義ではない大統領、国民を守るために懸命な大統領、市民とともに行動する大統領を表現するのに、最高の服装だったのです。まっすぐに正面を見据えて、たじろがず、ロシアの非を全世界に訴え、全世界にウクライナへの支援を求める真摯な姿に心打たれる毎日でした。カーキ色のTシャツは、「兵士や市民とともに戦う連帯感」を象徴しているのです。
2月26日の演説では、「私はここにいる、逃亡などしない。国民とともに独立を守る」と誓ったこの言葉、どんなに人々を安心させたことでしょうか。「大統領は逃亡か」などという声もでていたときだったのですから。「私に必要なのは(脱出用の)乗り物じゃない。弾薬だ」とも言いました。
Tシャツ姿で全世界にロシアへの非難とウクライナへの支援を訴える
その後、Tシャツ大統領は世界各国の国会でオンライン演説をし、軍事支援や制裁発動、ロシアへの非難などを呼びかけました。その回数はこれまで19回に達したことがCNNのまとめで判明しました。最初の演説は3月1日に欧州議会で実施。その次は3月8日英国国会で、など数日間の間隔を置いて各国での演説行脚を行っています。これまで登場した外国の国会は、ポーランド、カナダ、米国、ドイツ、スイス、イスラエル、イタリア、フランス、日本、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、ベルギー、オランダ、オーストラリアにルーマニア、スペインとなっています。
ゼレンスキー大統領は、ズーム(Zoom)、スカイプ、セルフィーといった現代のオンライン会議テクノロジーを使いこなし、インパクトを与えています。演説は演出方法をはじめ、言葉の一言一句は正確な情報と正しい分析能力に基づき、チームでよく練られています。そこにゼレンスキーの役者魂が功を奏しています。
結果的にはTシャツ大統領は、ロシアの侵攻後1カ月でウクライナ国家統合の象徴となり、各国の議会での演説を通じてウクライナをロシア軍から救うため、世界を結集させる大統領となりました。この演説は各国の議員からスタンディング・オベイションを勝ち取り、アメリカらは約140万ドルの援助を決めさせました。EUは史上初めて、域外の国への軍事支援に踏み込みました。歴史的に中立を守ってきたスイスとスウェーデン、フィンランドまでもが軍事、物資、外交の援助を約束し、スウェーデン、フィンランドにNATOへの加盟を決意させました。
新しいリーダー像としてのゼレンスキー
1)「言葉」に力を持つ大統領
ゼレンスキーの言葉は、何千人もの政治家の涙を誘い、ウクライナに武器と政治的支援を提供させるきっかけになりました。固い決意と共に、率直に、具体的に語る言葉に力がこもり、「言葉」と「現実」、「言葉」と「真実」がひとの心を揺さぶるのです。いつ殺されるか分からない環境に身を置く戦時指導者として、嘘のない率直さ、親密さが具体的な言葉として、人々に道徳的義務を目覚めさせるのです。無精ひげに痩せこけたTシャツ姿で、世界中の政治家たちに行動を迫りました。Tシャツを含めこれらの控えめな演出は、言葉に力をみなぎらせる最大の効果を発揮しています。
「前向きに善処します」「さらに検討を進めてまいります」などの言葉がなんの意味ももたないことを知ってしまっている国の国民にとってはなおさらのことです。
2)権威的でない、コミュニケーション能力豊かな大統領
ゼレンスキー大統領は、ウクライナの軍隊はもちろん、『市民を代表するリーダーである』ことを印象づけたと思います。いわば平場の大統領です。固い決意とともにわかりやすく率直に語る「普通の人」のイメージは、親しみ安さと嘘のない正直さを表現することになりました。従来、リーダーシップとは、指揮統制や管理的スキルが長けていて、威圧感や恐怖心、緊張感をもたらすカリスマがリーダーの典型とされてきました。だから政治のリーダーとは、戦争を雄々しくやってのける体の大きな男性が当たり前のように思われてきました。女性は政治の世界にふさわしくないと排除されてきたのもそこにあります。戦争は決してやめられない。世界から戦争はなくならない。戦争だけが歴史を変えていくなどの意見が、名だたる評論家の間でも当たり前のように語られるのも、リーダーのイメージと深くかかわっています。権威的でないというのは、リーダーが自らの個人的情熱をお伝える能力を持つことと他人を引き付けるのに必要な感情移入能力の双方を持ち合わせていることです。心のコミュニケーションができるということです。だから周りの人々や遠くの人々をも心地よくさせ、リーダーが語る言葉の意味を理解し、そのビジョンを共有することができるわけです。権威的ではなく、横並びの関係だけが心のコミュニケーションを育みます。
ゼレンスキー大統領はもともとテレビ番組のプロデューサーやコメディ俳優として活躍していただけあって、人を惹きつける能力には長けているのでしょう。44歳という若さも絵になる。かといって笑わせることを仕事としている元芸人というだけではなく、名門キエフ国立経済大学を卒業した知性人でもあります。効果的なコミュニケーション能力を持つ知性人が、政治の舞台で権威的でないリーダーを演じ切ることが重要なのではないかと思います。長らく、インターネットが新しいリーダーシップの在り方に変化をもたらすだろうといわれてきたが、今回のゼレンスキー大統領の登場でその答えが明確になりました。
3)政治にソフト・パワーをもたらした大統領
リーダーシップに力(パワー)は欠かせません。その「力」には「ハード・パワー」と「ソフト・パワー」があります。ハード・パワーは恐怖に裏打ちされた武力で敵を打ちのめして屈服させることであり。「ソフト・パワー」は相手を説得して従わせることです。傾聴能力、交渉能力、同調能力などは必須です。もちろん政治だけでなく、経済でもビジネスにおいても「力」は欠かせません。ところが政治の場では、ことさら軍事力・経済力といったハード・パワーが国力と同義語に使われ、権威的ではない、コミュニケーション能力の豊かさなどを持つリーダーの存在を重視されることが少なかったのです。ところが21世紀に入ったころから、国の力というのは、「ソフト・パワー」にあるという考え方が広まっています。「ソフト・パワー」こそが国力(国の力)だという考え方です。このソフト・パワーは別名、女性的パワーともいわれ、相手の話に耳を傾ける能力、相互に理解し合えること、相互に説得し合えるコミュニケーションがとれるそんなリーダーシップは、「フェミニンリーダーシップ」ともいわれます。「ソフト・パワー」には、インターネットの効用も影響を与えています。
ジェンダーにみる女性政治家のソフト・パワー
NATO加盟に舵を切ったフィンランド首相(36歳)、スェーデン首相(55歳)は女性の政治家です。ロシアを刺激しないよう「中立」を守ってきた北欧フィンランドのサウリ・ニーニスト大統領とサンナ・マリン首相は12日、北大西洋条約機構(NATO)加盟について「わが国の安全保障を強化する。防衛同盟全体も強化できる。遅滞なく申請しなければならない」との共同声明を発表しました。同じ北欧の中立国スウェーデンも後に続きました。イギリスのボリス・ジョンソン英首相は11日、両国を訪れ、相互安全保障宣言に署名し、情報共有、合同演習・配備、サイバー・ハイブリッド戦争への対策を強化することを表明しました。米軍もフィンランド上空で輸送機KC135ストラトタンカーが4機の航空支援専用機A10に空中給油するなど、ロシア側を牽制してみせました。フィンランドとスウェーデンが中立からNATO加盟に舵を一気に切った理由は、ロシアの蛮行を食い止めるためです。NATO加盟を支持する国内世論も2月53%、3月62%、5月に入ると76%までハネ上がり、反対はわずか12%にとどまっています。フィンランドにとってもスウェーデンにとっても「新しい時代」を招く、NATO加盟申請は、ほぼ完了しました。
(ウクライナ ゼレンスキー大統領)
これを機に日本も本格的にソフト・パワーの国に変化してほしいものです。そのためにもプーチンのロシアと闘うTシャツ大統領のいのちが途絶えぬよう、切に祈ります。(参考文献『フェミニン・リーダーシップ』マリリン・ローデン著山崎武也:日本能率協会刊/『リーダー・パワー21世紀型組織の主導者のために』ジョセフ・S・ナイ著北沢 格訳:日本経済新聞社刊』)
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