寄りかからず。 立て、立ち上がれ!
詩人の茨木のり子さんは2006年2月17日79歳で亡くなった。大阪市の出身。夫死亡後30年間、一人暮らし。お一人暮し歴24年のころ、1999年に刊行された詩集『倚りかからず』は10月16日の朝日新聞「天声人語」で取り上げられたことで話題になり、詩集としては異例の15万部の売り上げを記録した。
茨木のり子さんの死に方
2006年2月17日、くも膜下出血のため茨木のり子さんは東京都西東京市東伏見の自宅で死去。19日に訪ねて来た親戚が寝室で死亡していたところを発見した。生前より遺書は用意されており、それにより鶴岡市加茂の浄禅寺にある夫の眠る墓地に埋葬された。その遺書は、いかにも豪快であり、一人で死に切る覚悟やいかなる困難にも動じない清廉な意志の強さを感じる。
このたび私、 年 月 日 にて
この世におさらばすることになりました。
これは生前に書き置くものです。
私の意志で、葬儀・お別れ会は何もいたしません。
この家も当分の間、無人となりますゆえ、弔慰の品は
お花を含め、一切お送りくださいませんように。
返送の無礼を重ねるだけと存じますので。
「あの人も逝ったか」と一瞬、たったの一瞬
思い出してくだされば、それで十分でございます。
あなたさまから頂いた長年にわたるあたたかな
おつきあいは、見えざる宝石のように、私の胸に
しまわれ、光芒を放ち、私の人生をどれほど豊かに
して下さいましたことか・・・。
深い感謝を捧げつつ、お別れの言葉に
代えさせて頂きます。
ありがとうございました。
年 月 日
実は私もすでに遺書を残しており、公正証書遺言にしております。しかし、2021年の夫の死亡以前に作成したものなので再度作成し直そうと思っているところだが、私の場合も、私の意志で、延命治療や自然死を遅らす措置は必要ないこと、また葬儀やお骨を収集することは一切しないでほしいこと。お墓も不要だということ。弔慰の品はお花を含め、一切必要がないことなどを記している。一人で自立して生きるということは、一人で死に切る自信や覚悟を持つということだと思っている。
茨木のり子さんの詩から女性の生き方を学ぶ
『よく死ぬことは、よく生きること』。これは1987年、フリー・ジャーナリストの千葉敦子の遺作である。乳がんで46歳でなくなった。彼女は日本では末期医療体制ができていないのでニューヨークへ帰るといって、亡くなる3日前までニューヨークから日本へ原稿を送り続けた。『よく死ぬことは、よく生きること』と言い切った千葉敦子さんと茨木のり子さんは、生きざまも死にざまも共通している。
茨木のり子さんの詩では、「わたしが一番きれいだったとき」が最もよく知られているかもしれない。戦争への怒りを女性としてうたい上げたこの詩は多くの教科書に掲載され、米国では反ベトナム戦争運動の中でフォーク歌手ピート・シーガーが『When I Was Most Beautiful』として曲をつけた。彼女の心の声が国境を越えて人の心を打ったのだ。茨木さんは15歳で日米開戦を、19歳で終戦をむかえた。フランスの画家ジョルジュ・ルオー(Georges Rouault:フォービズム)は、1958年2月13日86歳で亡くなっている。しかし、この詩は反戦の詩というよりは、生きることの宣言であり、生きる目標設定が重要なことを問いかけたものだと思われる。娘盛りを戦争でおしゃれも忘れさせた、男たちはみな戦争に駆り出されたと嘆きつつ、戦争に反旗を翻しているのではない。それどころか生きる宣言なしには、とてもふしあわせで、とてもとんちんかんで、めっぽうさびしかった時代が、1番きれいだったとき、というのは矛盾している。女性たちは容姿の美しさのみを誇ることから解放されよといっている。とてもふしあわせで、とてもとんちんかんで、めっぽうさびしいのでは生きていることにはならないのだ。
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき
誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように ね
寄りかからず
やはり私が好きなのは、「寄りかからず」の詩です。強い意志とナイーヴな感受性によって紡ぎだされている。茨木のり子さんの73歳の詩集である。「もはや」という書き出しに、「73年の生涯を振り返って、最も重要に思っているのは」という思いが込められている。「寄りかかるのは椅子の背もたれだけ」とユーモアで締めくくるのは余裕である。
もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
茨木のり子さんはなくなって久しいが、ちょうど2月17日が近いので、再度、再再度思い出したいものです。忘れないでおきましょう。
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