「炎の画家三岸節子」・・・「女の描く絵」からどう飛躍したのか
2014/10/06
吉武輝子著「炎の画家三岸節子」(文芸春秋社)を読み終えました(前回紹介した本です)。
炎の画家といえばゴッホにつけられる言葉ですが、三岸節子さん(1905~1999年95歳で没)には、ゴッホのような理不尽な狂気もありませんし、まっすぐで、まじめで、素直で、絵を描くことを仕事に出来たラッキーな時代を生きた女性だと感じます。もちろん不屈の人です。
1934年、31歳の若さで新進の洋画家だった三岸光太郎の訃報に、同じく洋画家だった妻の三岸節子(当時29歳、3児の母)は当時を述懐しています。「こころの中から沸いてくるのは、これで私は助かった、私は死なずにすんだ」ということだったといっています。なんという激しい言葉でしょうか。
次々と愛人を作ることが芸術開花のためと称して、浪費と自分勝手をする男性(夫)と女の絵は所詮添え物という扱いしかしない美術会、そして子育てを全部ひっかぶって絵を描く時間がないもどかしさ・・・。そんな日常は今も変わらない光景ですが、三岸節子は、絵を描くことと女性が活躍できる基盤を同時に作っています。男性画家でさえ職業として成り立ちにくかった時代、女性画家の作品の「市場」はほとんどなかったのです。そこで節子は夫の死後二ヶ月で、「独立展」出品の女性画家たちによる「女艸会」を結成、また1936年には団体を越えた女性画家による「七彩会」をつくり、戦後には女性画家による美術団体「女流画家協会」をつくり、女性画家の地位の向上に力を注いだのです。
それはこの時代を築いた女性たちすべて同じような傾向があります。与謝野晶子や平塚雷鳥などなども。
引き込まれるように、一気に読みました。 三岸節子氏の一途な絵に対する真摯さに心打たれました。その、努力と闘い、苦労の連続の陰に、戦後、特に1980年代以降、世界の風もあいまって、女性の努力を正当に評価する社会が確立していきました。それを背景に、三岸節子の大輪の花が咲いたのです。三岸節子95年のおおらかな生涯を描きながら、明治・大正・昭和の時代を通して女性の活躍を支える歴史を見つめられた著作でもありました。
三岸節子さんの絵は大好きです。元気が出ます。女が真摯に向き合えば、それに応える社会であり続けねばならないと思う平成25年5月31日です。
このごろ絵を描いています。2枚できあがったのをお見せします。


関連記事
-
-
ブタペストの春
油絵を描き始めて1年経ちました。2年目の第1作は、ハンガリーのブタペストの風景で …
-
-
季節のごあいさつと展覧会のご案内
更新が滞り、ご心配をおかけしました。また今月からこのブログも書いていこうと思いま …
-
-
新しい“うねり”を奏でてほしい(5)
85年を生きた。今なおNPOと女性の活躍を熱望する日々 最近の絵画作品を紹介しな …
-
-
今回の選挙結果への「絶望感や不安」にどう対処する?
女性議員の数は前回より減少 第49回衆院選は10月31日投開票され、投票時間終了 …
-
-
「もしトラ」が現実になり、しかも「ガラスの天井」も崩れず アメリカ大統領選挙2024
世界の不安はどうなるのか 2024年11月7日 8時17分 、カマラハリス氏の敗 …
-
-
紫陽花の絵をもらってくださる方への手紙
このGWに紫陽花の絵を仕上げました。私は紫陽花が好きでよく描きます。もう荷造りを …
-
-
ベート―ベンに見習おう ―Women’ s Activist として、生きていたい。途中経過のご挨拶
私は80歳を超えて、83歳に近づいてきました。よくも悪くも初めて迎えた超高齢社会 …
-
-
ミュージカル「エディット・ピアフ」を堪能しました
私はずっとシャンソンが好きでした。東京にいるとき(単身赴任中)は、四ツ谷にある『 …
-
-
極暑お見舞い 2018年の夏―地球の悲鳴が聞こえます
酷暑が続いています。皆様この極暑をどのようにして乗り切っておられますか。 「平成 …
- PREV
- 女性や少女が置かれている暴力的な状況(新聞報道より)
- NEXT
- 女性の力を活かすこと