中欧の旅 ② げにうつくしきプラハの街
2014/10/23
百塔の街でのオバマ大統領の核軍縮演説
プラハの新市街には、実ることなく終わった「プラハの春」のバーツラフ広場がある。1960年代、共産主義への批判が高まりより自由な社会をめざすべく改革の機運が高まった1968年から、一気に改革派の自由獲得へ動きが活発になった。それに批判的なワルシャワ条約機構諸国は、改革を阻止するために軍事介入を決行。ヴァーツラフ広場に戦車を乗り入れ、「プラハの春」は実ることなく終結したのだ。その後1989年、再度学生デモが発端となり、共産党政権が崩壊。改革派が第一書記に就任した。無血で改革が成功したため「ビロード革命」といわれている。「プラハの春」は失敗に終わったように見えたが、その間脈々と自由への機運が流れていたのである。プラハには社会主義時代のチェコがわかる博物館(Museum of Communism)がある。マルクスが資本主義はやがて青銅の斧と共に「博物館」入りすると言っていたのに、Communismが博物館入りしている現状をどう説明するのだろうか、思ってしまう。
2009年4月5日のオバマ大統領の演説には、「プラハの春」と「ビロード革命」への敬意が語られており、そのことが自分とヨーロッパ、プラハを繋げたのだといっている。
オバマのプラハ演説のポイントを少し引用する。
米国は、核兵器国として、そして核兵器を使ったことがある唯一の核兵器国として、行動する道義的責任がある。米国だけではうまくいかないが、米国は指導的役割を果たすことができる。
今日、私は核兵器のない世界の平和と安全保障を追求するという米国の約束を、明確に、かつ確信をもって表明する。この目標は、すぐに到達できるものではない。おそらく私が生きている間にはできないだろう。忍耐とねばり強さが必要だ。しかし我々は今、世界は変わることができないと我々に語りかける声を無視しなければならない。
まず、米国は、核兵器のない世界を目指して具体的な方策を取る。
今朝我々は、核の脅威に対応するため、より厳しい新たな手法が必要なことを改めて思い起こした。北朝鮮が長距離ミサイルに利用できるロケットの実験を行い、再び規則を破った。
しかし誤ってはならない。我々は、そうした道がどこへ至るかを知っている。国々や人びとがそれぞれの違いによって定義されることを認めてしまうと、お互いの溝は広がっていく。我々が平和を追求しなければ、平和には永遠に手が届かない。協調への呼びかけを否定し、あきらめることは簡単で、そして臆病(おくびょう)なことだ。そうして戦争が始まる。そうして人類の進歩が終わる。
その声こそが、今なおプラハの通りにこだましているものだ。それは68年の(プラハの春の)亡霊であり、ビロード革命の歓喜の声だ。それこそが一発の銃弾を撃つこともなく核武装した帝国を倒すことに力を貸したチェコの人びとだ。
人類の運命は我々自身が作る。ここプラハで、よりよい未来を求めることで、我々の過去を称賛しよう。我々の分断に橋をかけ、我々の希望に基づいて建設し、世界を、我々が見いだした時よりも繁栄して平和なものにして去る責任を引き受けよう。共にならば、我々にはできるはずだ(略)。
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