第75回(2022年)女流画家協会展に「プラハの街」入選しました

   

今年も女流画家協会展入選しました。初めて応募してから連続5年です。

「女流画家協会」は、戦後まもなくの1946年に「女流画家の団結により芸術的向上を図り,また新人の登竜門としての意味を以て展覧会を計画す」として、桂ユキ子,雑賀文子,佐伯米子,桜井悦,桜井浜江,遠山陽子,仲田菊代,中谷ミユキ,藤川栄子,三岸節子,森田元子の11名の発起人により発足しました。1947年開催の第1回より年1回女流画家協会展を開催しています。今年も6月7日から13日まで東京都美術館で女流画家協会展が開催されました。

女流画家協会と三岸節子さん
女流画家協会展の発起人の一人三岸節子(1905-1999)著『花より花らしく』(昭和52年:1977求龍堂刊)から女流画家協会設立の意気込みを引用してみたいと思います。

「女流画家は育たない。女流画家として独立することは不可能である。芸術的にも、生活的にも。このような言葉は一般の通念となっておりました。なかでも油絵の世界、そこでは芸術的にも生活的にも困難をきわめ、肉体的にもハンディキャップがあり、女流画家の存在を否定する通念が一般常識となっておりました。わたくしども女流画家がどのようにして今日まで存在してきたか。女流画家にとって絵画は狭き門でありました。それは何人に問うまでもなく、己自身身の胸にただす言葉でありました。やがてそれを知り、証明し、行動し、成就するのは何人でもない、わたくしたち自身の決意如何にかかっていることでありました。徐々に,長い暗闇から少しずつ光がさして、時に対する永い抵抗が、忍苦が、ようやく熟し始めて、女流画家自身が立ち上がり始めました。
画壇は権力を持つ世界でありました。
特権の存在する世界でありました。そして、この国では純粋の芸術だけがものをいう国でなく,背後の人工的な圧力がものをいう不思議な国もありました。
しかし女流画家の総力を挙げて大同団結をのぞむ機運がようやく熟してきたのです。
一人では何事もなし得ない。全国の女流画家の力の結束を得て、初めて新しい正規を創ることが可能であることを知ったのです。そして女流画家協会は新しい希望をはらんで発足いたしました。」
(女流画家の歴史p182より)

 

私は仕事をリタイアー後、油絵を再開してから、特別の思いを込めて女流画家協会のみに応募しています。じつは三岸節子さんは、独立美術協会からこの女流画家協会を設立に踏み切った一人です(私も以前、独立美術で少し修行していました)。私は、三岸節子さんの絵がとても好きです。彼女は書いています。

「私は、喘ぎながら、息せき切って、血を流し続けて、私は走った。30代、40代、50代に続いて、休まず続けられた」「女流画家の作品が売れる道理がなかった。絵が売れるのは個人対個人に限られている。男子の場合、もし才能があれば、将来に賭けて、投資の形として、パトロンがつく。女性にその恩恵のありえようはずはない。あればとんでもない曲者である。また女が子供を抱えて、ただ、育て、生き延びる、いはば社会の底辺にとどまるならば、それはいづれの母親にも可能である。しかし理想を掲げて、芸術という、絵画という魔術の世界に挑もうとすれば、尋常の覚悟ではなしたがわざることである」と。

そんな苦労の日常の中から生まれた三岸節子さんの「花」の数々の絵は、観るものに、尋常ではない、生命の歓喜を与えるものばかりです。

現在もなお、油絵の世界はジェンダー平等など、ほど遠いのが現実です。今なお、「偉大な女性の美術家はなぜいなかったのか」などと平気で語られていますし、絵画の評価そのものに歴史的に押し付けられてきた性差による横暴をそのまま当てはめてきたことへの反省もありません。「視られる性としての女と視る性としての男」の構図は、そのまま絵画の世界の支配と従属の構造を作ってきました。美術におけるフェミニズム的視点の浸透こそがこれからの美術史を高みに導くものだと思っています。
絵画のテーマにおける政治性の問題と色彩や形、構図などの表現方法はともに固く連動しており、内容と形式は、決して切り離せないものです。それをもっぱら男性の視点からだけで生み出され、理論化され、ゆがんだ評価が定着しているのが、美術・絵画の世界だと思っています。今後とも女流画家協会がフェミニズムの視点を大きな課題として踏まえ、歴史的に押し付けられてきた性差の慣例を取り除いていってほしいと願っています。女性画家たちが作品を通して生命の歓喜をつくりあげ、人々に生命の歓喜を与えられる機会が増えることを期待しています。

「プラハの街」F60号
今年応募した「プラハの街」は油絵を再開することになった記念の一作でした。ツアーで訪れたチェコのプラハの街。プラハへ行くときはスケッチブックを忘れずに、と言われる通り、中世に建てられた赤い屋根で埋め尽くされたプラハの街は、世界で一番美しい町と言われていて、とても感動しました。高台から街を一望したとき、絵を描きたいという気持ちが抑えきれなくなりました。これを機に、仕事のリターアーと油絵を描く準備に進むことになりました。
チェコは、ヨーロッパの中心に位置します。古くから東西南北の文化の交差点となり、さまざまな異文化の洗礼を受けました。そのために、ヨーロッパで起きた政治経済の大事件は、すべてこの小国に投影されてきたのであり、チェコ人は、歴史の中で極めて大きな苦難を味わってきました(プラハの春;1986年春から夏にかけて。ビロード革命;1986年など)。その首都がプラハです。面積は北海道くらい。人口は1千万。この国の名産は、ガラス。ボヘミアガラスの美しいカットは、すでに13世紀から欧州諸国のあこがれの的でした。人形劇(マリオネット)やアニメの技術も素晴らしい。作曲家にはスメタナ、ドヴォルザーク、ヤナーチェク。作家にはカフカ、チャペック、クンデラ。画家ではミュシャなど。その節私は、マリオネットの魔女人形を自分へのお土産に買い求めました。

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