認知症になっても、高齢女性の一人暮らし(死)は可能か(その3)
恐れていた極暑がやってきた。いよいよコロナ禍での熱中症の季節。今日も36度超。
認知症になっても、高齢女性の一人暮らし(死)は可能か(その3)を考えるとき、「そりゃ難しいよ」と声が上がるのが、「この季節でしょ、夜中に熱中症で息絶えても誰も気づいてくれないのよ、孤独死のまま放置されるわけよ」というご意見です。今も救急車が走っています。コロナ関連かもしれません。7月27日午後5時現在、これまでに全国で確認された新型コロナウイルスの感染者は、20万9658人、4日ぶりに過去最多となりました。日本の新型コロナウイルスの新規感染者が世界で最多となり(WHO=世界保健機関最新レポート)、日本の感染者は先週1週間で世界で最も多い96万9068人になりました。オミクロン株の新たな系統BA.5などの影響で急増しています。病床ひっ迫にもなっています。死者が最も多かったのはアメリカの2637人で、日本は272人です。私も4回目のワクチン接種はまだです。重症になり、死に近づくのは高齢者。「熱中症とコロナの中を一人暮しの高齢者女性が生き伸びるのかは難しいのでしょうか。「それはそうなんですよね・・・」。「しかし、そう簡単に「施設入居」へ走り、「在宅」を諦めるのではなく、やっぱりもう少し考えてみなくちゃ。高齢女性にとって日本の歴史上はじめて手に入れた“しあわせな時間”を守りたいからです。幸い介護保険に支えられて、自分の年金で、縛られてきた家制度から解放され、人生を謳歌できる「わずかの時間」を手に入れたのですから、そう簡単に見限るわけにはいかないのです。「施設に入れば楽よ」「家族が迷惑するのよ」「全てを専門家に任せればいいわけよ」という意見に、そう簡単にはうなずけないのです。
「認知症」への恐怖、「認知症」のイメージに負けないようにしよう!
今高齢者にとって、一番の恐怖は「認知症よ、それ」と宣告されることです。私の友人(70代)は最近猛烈に怒っています。離れた娘から電話で「お母さん、認知入ってるよ。何回もいうたのにやっぱり間違ってるよ」といわれて、「もう完全に私も頭にきたわ。今までジュェリーはみんな娘に、なんて思いながら磨いたりしてたのに、その娘があんなにはっきり言うなんて」「私のこれからどうなるんやろ」「退職金をつぎ込んでお気に入りの家にリフォームして、ゆとり(ムダのある)空間を手に入れたことや改築を成し遂げた“わたし”が誇りだったし、自信になったわ。それなのに、もうどうしよう」と怒りというか、くやしさにいたたまれないようです。実の娘の率直なところはいいのですが、一番気にしていること、認知症には治るという可能性がない以上、「認知症宣告」は「死亡宣告」にも勝る恐怖心があるのに、それをなんの気遣いもなくぶつけられたら、ソリャー愕然としますよね。慌てますし落ち込みます。当事者は、様々な機能低下を感じてはいるのです。それで落ち込んだり、絶望感も感じているのです。家族をはじめとする周りの人はそのことを理解してほしいものです。それに認知症のイメージも悪すぎます。認知症には「徘徊」「暴言・暴力」「幻覚・妄想」「何もできない」「人に迷惑をかける」「特に介護する家族は大変だ」といったイメージがあります。また今の日本では、自宅で自然に死ぬ、病院で死なないと変死扱いになります。これもグロテスクな死生観ですね。お医者さんに何回か往診してもらっておくと変死扱いにならないらしいので、そのへんの準備は必要かもしれません。ひとりで死ぬのは不幸、家族に囲まれて死ぬのがいい死に方という決めつけも「一人死」のイメージを悪くしています。死ぬのに証人が要るのは変なこと。一人で自由に死なせてほしいと思います。私は人に見つめられて死にたくはないですね。
みんなで「認知症」と共存しよう
認知症の定義は、「正常に発達した知的機能が持続的に低下し、今までできていたことができなくなり日常生活や社会生活に支障をきたす状態」です。認知症状の代表的なものは、「記憶障害(覚えることができない)」、「見当識障害(ここがどこだかわからない)」、「理解・判断力の障害(何を言っているのかわからない。段取りができない)」、「実行機能障害(2つのことを同時にできない)」などがあります。認知症には治療薬が増え治療の幅も広くなりました。しかし、認知症の治療にはリハビリテーションやデイケア、デイサービスといった介護サービス、住まいの地域の催し等への参加などで人と接する機会を増やし、残存機能をなるべく維持することが重要です。家族や介護者がどのように認知症の人と接するか、また、生活環境をどう整えるかがかぎになります。記憶障害は、「忘れている」や「ここがどこかわからない」なら、教えてあげればいいのです。「言ったことが理解できていない」なら、ゆっくりひとつずつ区切って伝えてあげればいいのです。「失敗する」しても「大丈夫よ」と声をかけてあげればいいです。ただでさえ心身ともに疲弊して弱っている当事者に、さらに追い打ちをかけることが、暴言や幻覚、妄想といった行動・心理症状(BPSD)を誘発してしまいます。それが認知症をみんなで共有することです。「認知症高齢者が462万人」と言われている現代、2025年には700万人を超えるとも言われています。認知症は日常化しつつあります。5人に1人が認知症と言われる時代が間もなくきます。誰もが認知症になる時代です。しかし人は認知症という病気を抱えながらも幸福に生きることができますし、また、幸福に生きる権利があります。一人住まいながら住み慣れた地域で家族や近所の方々に見守られながら、当たり前のように自宅で過ごせるということは、まさに幸福な人生に尽きるといえそうです。私は自分の主治医にも高齢者の一人暮らしと死=孤独死について聞いて見ました。「死んだらもうわからないのですから、そこまで心配する必要はないですよ」と簡単な回答でした。また介護職で日ごろ認知症のお世話している人は、「私はやはり施設に入りたくない。最後まで自分の家で一人で暮らして、ヘルパーさんのお世話になりたい。施設では、施設の方針をやり遂げるだけで本人の希望は汲んでもらえない。ヘルパーさんに見取ってもらってそれで充分です」という意見でした。私も近々、私の認知症発症やその後の治療などについて相談・決定する任意後見人の登記手続きまで済ませておきたいと思っているところです。
認知症になっても、高齢女性の一人暮らし(死)は可能か?
答えは「可能です」。やり方次第です。そのためには毎日を生きることに意欲的になりましょう。なくなっていくものや消えていくものに未練を持たず、今を信じて、あるがままの自分を信じて時間を大事にしましょう。そしてまわりの「見守り」と「手助け」に感謝しながら、お礼の言葉はたくさん言いましょう。自分の趣味や住まいの地域の催し等への参加などで人と接する機会を増やし、耳が聞こえにくくても、足がもたついても、堂々と生きていきましょう。自分にとって死ぬのがちょうどいい日が来るまで。その毎日の積み重ねが、ネイティブインディアンの「今日は死ぬのにちょうどいい日だ」が存在するのではないかと思っています。壮大な宇宙の流れの中で、自分の位置を知っているインディアンは、死を少しも恐れない。堂々とした人生、そして生の続きのような死。ネイティブアメリカンの哲学は、我々の未来につながります。(この詩、以前から私の心の中に食い込んでいます。亡くなった夫とも何度もうなずき合った詩です。でも私には今のところ実感がないので、覚悟のほどを決意しているという状況なのです)。
「今日は死ぬのにちょうどいい日だ」ネイティブアメリカンの詩
Today is a good day to die(ナンシー・ウッド著)
今日は死ぬのにちょうどいい日だ。
生きているものすべてが、わたしと呼吸を合わせている。
すべての声が、わたしの中で合唱している。
すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た。
あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。
今日は死ぬのにちょうどいいの日だ。
わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。
わたしの畑は、もう耕されることはない。
わたしの家は、笑い声に満ちている。
子どもたちは、うちに帰ってきた、
そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ。
ナンシー・ウッド(女性) 詩人、作家、写真家。1936年生まれ。アメリカ・ニューメキシコ州在住。1974年、ホプキアンス賞受賞、77年にはピュリッツアー賞の候補作品に選ばれている。1984年に児童文学の詩を対象に贈られるリー・ベネット・ホプキンス賞を受賞。1987年に米政府が芸術活動を支援する全米芸術基金より文芸部門で賞を受ける。『今日は死ぬのにもってこいの日』(めるくまーる)をはじめ、世界中に心を寄せるファンが多い。
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