脊柱管狭窄症の手術から1年経ちました

      2024/02/27

やっと一年です

今は、座っている分には全く何の支障もありませんし、1時間ぐらいは平気で歩きます。手術前には、術後は完全に若いころのように足も背中もスムーズに動き、痛みからも完全に解放されると思っていましたが、なかなかそう簡単ではありませんでした。(参考:フェミニズムとわたしと油絵 2013~2023その6
1年前の1月30日と2月20日に2回の手術を受けました。脊椎館狭窄症の手術では、神経の圧迫を軽減するために、脊柱管が狭くなっているところの骨や組織を切り取ります。さらに私の場合には、椎間板や靭帯が衰えて背骨が弱っているので、チタン製のボルトとポリエチレン樹脂のひもを使って脊椎を固定するのです。骨をゴリゴリ削って、ボルトとひもで固定するなんて、なにかとても原始的な手術のような感じですね。5時間半程度かかりました。再度のやり直し手術というのは、固定術で、腰椎にケージ(椎間の隙間を作るbox)を刺入したのですが、それが動いてしまっているというのです。再度、引き抜いて別の形状のケージを挿入するとのことでした。しかし、逃げようがありません。仕方ありません。2回目は少しかかった時間が少なかったですが、術後は、結構辛いものがありました。全く動けない時間が40時間ぐらいあります。

執刀医の先生は、私の年齢(84歳)にとても慎重でした。手術そのものにあまり乗り気ではないという感じでした。高齢者の手術は骨密度も低くなっているし、薬の副作用が出やすいし、認知症が出るかもしれないとも、心配されていました。失敗に終わるということになりがちなのです。実際知り合いの人で、私より年齢の若い方が手術できないといわれている方があります。私の弟も。それを思うと間に合っただけでもラッキーだったのかもしれません。

2023年3月7日、やっと退院が許されました。36日という1か月以上の長期滞在でした。その間病院の減塩食事にすっかり慣れて、消化器全体がすっきり洗い流されたように、体重も適正になりその点もよかったです。友人に預かってもらっていた犬も帰ってきました。それはうれしかったのですが、しかし、帰ってきたら、すぐさま散歩が始まるのです。「さんぽ」はリハビリと割り切って始めました。歩行器に犬のリードをひっかけると、引っ張って歩いてくれました。

週3回はリハビリにといわれたのですが
担当の整形外科では、週3回はリハビリを続けてくださいといわれました。退院直後はまだ足にむくみがあり、リハビリも頑張っていましたが、だんだんずぼらになり、3か月後ぐらいまでは腰の大型ベルトをしていたし、早くこれを外したいと思う一心で頑張りましたが、だんだん足を運ぶ回数がまだらになってしまいました。でもずっと脚が重くて、重くてスムーズに動けませんでした。自分の足がこんなに重いものかと初めて知りました。脊椎間狭窄症の術後にしびれがあるとよく言われるのですが、私の場合は、それはありませんでした。足が重いという感覚だけでした。

定期検診は祈る思いで
1か月、3か月、5か月とCTやレントゲンによる検診があるのですが、ほんとに祈る思いでした。「またケージが外れてしまっています」と言われたらどうしようかと、それは、それは祈る思いでした。3か月後には足のむくみがなくなってきました。半年後には、足の重たいのもましになってきました。でも腰に板を打ち付けてあるような皮膚の違和感はまだ残っていました。それと肩こりや足こり、長時間歩けないというのは、まだ残っていました。でももう痛み止めの薬も飲まなくなりましたし、シップ薬も貼りません。歩行器も使っていません。

企画している「フェミニズム展覧会」の日程がどんどん迫ってきます。大阪市中之島中央公開堂へ何度も下見に行きました。展示する70点の絵を確定し、手直しもしました。今までお世話になったというかともに支えあい、闘ってきた仲間に差し上げたい絵も35点描き終えました。それを持ち帰りやすく包装するところまでこぎつけました。手伝ってくれる仲間が定期的に家まで来てくれます。それから「フェミニズムとわたしと油絵」の原稿も完成しました。9月には明石書店から出版の手筈となりました。

10月15日(日)「金谷千慧子のフェミニズム絵画展」のオープニングパーティにスムーズに歩いて、まっすぐな姿勢で皆様にお礼を言えました

私が手術に踏み切ったのは、これが大きな目標でした。「ご参加の皆様に心からのお礼を言いたい」「きちんとお辞儀をしてお礼を言いたい」というのが目標でした。全国各地から来てくださった皆様に、ほんとに心を込めて、「ご参加いただきありがとうございます」「ともに人生を駆け抜けてきてくださった皆様、ありがとうございました」とお礼の言葉をまっすぐな姿勢で言えることができました。手術をしてよかったとこれほど強く思った瞬間はありません。ほんとにうれしかったです。

そして手術から1年です。
今では座っている分には、何時間でも大丈夫なのです。以前のように座っているのが痛くて耐えられないということは全くありません。痛くて寝られないということも全くありません。でもこれからもこのいい調子がずっと続くのかどうかわかりません。私としてはもっとスポーツができるぐらいの本調子を求めたいぐらいですなのです。一歩一歩の歩く姿勢を吟味して、もう少し高みを目指していきたいと思っています。ここまでやっときましたが、手伝ってもらっているヘルパーさん(お掃除:私は要支援2)や家族に感謝しています。散歩とご飯をせがむトイプードルにも。

そうそう、今は、毎日5月の公募展に向けて、100号サイズのキャンバスに向かっています。

 - GOLDENシニア生活―Women’s Activistとして, ブログ, 油絵

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