フェミニズムとわたしと油絵(2013~2023)(その14) ついに展覧会スタート!
1.10月15日(日)PM1時、展覧会スタート
前日からの雨も上がって、秋晴れの中之島中央公会堂です。午前9時から準備に入りました。専門家が2人、助けてくれる人17人で、70展の絵画を配置、設置していきます。まずパネルを地下の倉庫から運び出します。ミリ単位で設計図を作成した入念な準備が効を奏して、パネルにぴっちり並びました。圧巻です。お祝いのお花も次々に運び込まれて展覧会モードいっぱいです。
2.いらっしゃいませ、こちらが受付です。
「ようこそお越しくださいました。お久しぶりです」「ほんと、ほんと」「展示作品の写真集を見ながら進んでくださいね」「最初は自画像の6点から始まります」「花の絵は一番多くて23点あります」「女性像を描いたものは15点、大型の作品が多いです。100号が3点、70号も4点あります。」(大型の作品は女流画家協会展入選が多い)
3.乾杯はお茶で
ビールもワインもなくて、350cc入りの「おーいお茶」を高らかに掲げて、「かんぱーい」しました。これじゃ「パーティ」などといえたものではありませんが、貧素なことが珍しいのか、思わず吹き出す人も。でもでもみんな楽し気でした。
4.60秒スピーチ始まる
みんなで頑張ったのが60秒スピーチ。とても時間が足りないとわかって工夫したのがチーンとなるベルを持ち込んだことです。お話するのに慣れていらっしゃる総参加者の約半数の方から、エピソードや今やっている楽しい話を聞かせてもらえて、ラッキーでした。司会者曰く「皆様の絶大なご協力のおかげで時間通りに進みました」と誇らしげな笑顔でした。奇跡に近い時間配分でした。充実した2時間でした。
5.北京JAC(ペキンジャック)代表船橋邦子さんにもらわれていった絵
(F15号)
1980年の国際女性年中間年記念世界大会から4回連続、国際女性会議に参加しました。そのたびに世界に追いついていない日本の女性の現状を見せつけられましたが、かといってがっかりもせず、いつも「仲間がいる」「私も自分のできることを思う存分頑張ろう」と思いながら帰りの飛行機では元気百倍でした。この絵は、1995年第4回北京会議での私です。国連主催の歴史上最大規模(5万人)の世界女性会議がアジアで初めて開催されました。1975年国際女性年、1979年女性差別撤廃条約採択、1993年には女性に対する暴力撤廃宣言と進められその集大成が北京会議でした。策定に女性NGOが大きな力を発揮した「北京行動綱領」が採択され、今も国際指針として高い評価を受けています。北京JAC(http://pekinjac.or.tv/index.php)はNGOのメンバーが中心となり1995年12月「北京行動綱領」の実現をめざし、女性たちの声を政策に反映させるため全国にネットワークを広げたのです。船橋さん、活用してください。ご参加ありがとう。
6.「女性たちよ立ち上がれ!応援団もついてるよ」
(F70号)
この絵は作者の気持ちがあふれているのです。やっぱり女性の権利の向上、女性が生きやすくなるためには、自らが主張すること、立ち上がることが何にもまして重要なことです。誰かが何かをしてくれるのを待つということからは何も生まれないのです。応援団は必ずいます。勇気を出して主張しましょう、立ち上がろう!周りの人たちは必ず助けよう!
「思い出の地」のコーナーは外国の風景もたくさんあります。作者(私)は日本の女性の生き方の手がかりやお手本を求めて海外視察を重ねていました。アメリカ・イギリス・カナダの職業教育システムの視察へは何度も行きました。ヨーロッパもたびたび。今思うと、よくまあ、毎年云々行ったものだと思います。毎年、日本から脱出して元気を取り戻してまた1年頑張り続けたという感じです。(やはり日本は息苦しかったです)
7.「さらちゃん―夢を目指して自立に向かう13歳」
(F30号)
一緒にNPOを背負ったスタッフのお嬢さんがさらちゃんです。六本木の東京事務所(三河台中学校跡)に転勤してもらったので学校も転校しました。多感な13歳のさらちゃんを美しく、凛々しいキャリアウーマンに成長させたシングルマザーのお母さん、ひとしきりではない苦労もあったことでしょう。あっぱれ、あっぱれ!私は気をもんでいるだけしかできなかったのです。ほんとにうれしい再会でした。
8.執刀医駆けつける、展覧会3日目
脊椎館狭窄症の執刀医の先生が駆けつけてくださいました。「ほんとに大丈夫ですか。今やっと手術が終わったので、寄ったのですよ」「そうなのですか、入院中にパソコンに向かっていたのが、この本の原稿だったのですか」と言って、またマスクをして大急ぎで病院へ帰られました。
9.ほとんどの絵が出かけていきました
私の家に閉じ込められていた絵画たち、70点のほとんどがもらわれて新しい地に行きました。「寂しくなるね」といってくださった方もありましたが、新たなところで、新しい持ち主を励まし慰めてくれたら、私のよろこびは、それに勝るものはありません。もらって頂いてありがとうございます。
美しいお花に囲まれて、めずらしい差し入れのおやつに舌鼓を打ち、いっぱいお話をして、涙・涙でこの5日間の展覧会を終えました。極上の時間をいただいたこと本当にありがとうございました。こんなうれしい奇跡が起こりました。心を寄せてくださったみなさまに深く感謝しています。
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