フェミニズムとわたしと油絵(2013~2023)(その5)

   

NHK日曜美術館「ウォーホルの遺言 〜分断と格差へのまなざし〜」(2023.1.15の再放送)を観ました。衝撃を受けました。
趣味の油絵を再開して10年になるのをきっかけに、「フェミニズムとわたしと油絵」というというタイトルで人生のまとめをしているとブログで報告いたしました。今回はそのテーマの第5回目になります。その後、ほぼ1冊分の文章化を終え、出版社も決まりました。第2回のブログでは、いま突き当たっている「フェミニズム」や「ジェンダー」という言葉に対する世代間の受け止め方の違いや「フェミニズム運動」「ジェンダー平等」に対する理解の違いをどう克服するかという、特に日本での課題を書きました。第3回目は、イランでの女性のベール逮捕者の激増の様子とアフガニスタンでのタリバンの女性の権利の迫害とフェミニズムのかかわりについて記しました。この近日、イランでは女性のヘジャブ着用をさらに厳しく取り締まる方向が出されたといいます。懸念されるところです。さて今回の第5回目のフェミニズムとわたしと油絵(2013~2023)はNHK日曜美術館「ウォーホルの遺言 〜分断と格差へのまなざし〜」(2023.1.15の再放送)を1月22日に観た感想を記すことにしました。私は毎週、大河ドラマではなく「日曜美術館」を観ています。アンディ―ウォーホルの特集でした。

アンディウォーホル
アンディ―ウォーホルは「ポップアートの巨匠」と呼ばれ、1960年代に活躍したアーティストです。「マリリンモンロー」で「シルクスクリーン」と呼ばれる大量印刷の技法により、作品を大量生産し世に急速に広めていきました。「マリリンモンロー」が世界中に広がりました。私もこの「マリリンモンロー」なにこれ?と驚いただけだった頃を思いします。
ウォーホルの経歴
ウォーホルが生まれたのは、鉄鋼業が盛んだったアメリカの都市ピッツバーグ(ペンシルベニア州)。両親はチェコスロバキア共和国(現スロバキア共和国)から働き口を求めてやってきた移民でした。14歳の時にウォーホルの父が亡くなって、ウォーホル家の兄弟は母親ひとりに育てられました。早くから芸術の才能を示したアンディ少年はカーネギー工科大学(現カーネギーメロン大学)で広告芸術を学びました。1960年イラストレーションの世界を捨て去り、ファインアートの世界に移動。1961年 キャンベル・スープの缶やドル紙幣をモチーフにした作品を発表。1962年シルクスクリーンプリント開発。1963年 ニューヨークにファクトリースタジオを構えました。1965年にはヴェルヴェット・アンダーグラウンドとコレボレート。1963年-1968年 60を超える映画作品を撮ったというのが彼の経歴の概略です。そして、1974年、初来日しました。彼は生前、自分がゲイであることを公表していました。そして1987年2月、彼はニューヨークのコーネル医療センターにて亡くなりました。享年58。

 

作品は「キャンベルのスープ缶」「マリリンンロー」で有名
放送の最初にこの「マリリンモンロー」の前に立ったいつもの出演者小野正嗣 (作家、早稲田大学教授)氏は、「美しくありませんね」といいました。確かに美術という範疇から外れています。ウォーホルがポップアートを確立する前の1950年代は抽象表現主義が盛んでした。その流れの最中で、「多くの人に身近な物や、多くの人に認知されている人物でさえもアートになる」といいました。「美しいから美術」という常識を覆したのです。このことは人々に衝撃を与えました。彼は「1960年代に最も影響力のあった人物」に選ばれています。ウォーホル以前の芸術家たちは自身の作りだした一点物の作品がアートであると考えていましたが、ウォーホルはそれを覆し、「誰でも手に取れる商品や、誰もが知っている人物もアートの対象となる」という思想を発表したのです。これは美術界における革命でした。アンディウォールは美術史上、誰も考えつかなかったアートを確立しました。
そしてそのことの延長線上に、今回の放映では、タイトルにもあるように、人間の平等や格差・差別をあぶりだした業績を説明しています。現在アメリカでの黒人差別を訴える動きや黒人を中心とする絵画の運動の先駆的役割を果たしたのがアンディウォールだとして位置付けています。アンディは一見、政治や社会を語らないクールでスタイリッシュなイメージが定着していますが、その実、人間の平等や格差・差別を鋭くあぶりだしているのです。特に近年ではポップにアートの旗手としてだけでなく、その作品を、これまでにない視点から評価する動きが広がっています。人種差別をテーマにしたウォーホルの作品に刺激を受け、議論を展開しています。

マリリンモンロー
アンディウォールの有名な作品は、「キャンベルのスープ缶」や「マリリンモンロー」です。1961年にポップアートへと転身した後に初めて描いたのが「キャンベルのスープ缶」で、その一年後にシルクスクリーンを初めて用いたのが「マリリンモンロー」です。「マリリンモンロー」です。

「キャンベルのスープ缶」
「キャンベルのスープ缶」は大衆文化における大量生産・大量消費の危うさに警鐘を鳴らしたいと考えていました。それを印象付けるために、作品の大量生産をするにはどうしたらいいのかを考えていました。
特に近年ではポップにアートの旗手としてだけでなく、その作品を、これまでにない視点から評価する動きが広がっている。人種差別をテーマにしたウォーホルの作品に刺激を受け、議論を展開しています。
差別の悲劇に声を上げたアメリカのアート界 ~これは「アメリカのだけの問題なのか」
アメリカのミネソタ州ミネアポリスで、46歳の黒人男性ジョージ・フロイドが、警官のデレック・チョーヴィンにより殺害されました。全米で大規模なデモ活動が起こっています。SNSでも広がりを見せている抗議運動「#BlackOutTuesday」や「#BlackLivesMatter」に賛同する、様々なアート界の動向が色狩りを見せているといいます。
発端は、フロイドが食料品店で偽造20ドル札を使用した疑いがあるとして店舗スタッフが通報。駆けつけた警官たちが職務質問のため、パトカーへ同乗することを促したところ、フロイドは「閉所恐怖症」であることから乗車を拒否。警官はこれを抵抗とみなし、非武装のフロイドに手錠をかけ道路に押し付けました。8分46秒にわたって警官の膝により強く押さえつけられたフロイドは「息ができない」と何度も訴えたのちに、その場で窒息死。チョーヴィンは懲戒免職となり、第3級殺人罪などで起訴されたものの、遺族はより重い第1級殺人罪の適用と、立ち会った警官らの逮捕を望みました。警官による不当な市民の殺害に、現在もアメリカ全土で抗議デモが続いています。そしてアート界も例外ではありません。アーティストやミュージアム関係者が作品制作やSNSなどを通じた運動が起こり、「#BlackLivesMatter」に賛同。多くの声明を出しています。

事件現場に描かれた、フロイドの死を悼む壁画
フロイドの死を悼む祭壇の街となったミネアポリスでは、現場の食料品店の壁に、アーティストのカデックス・エレラ、グレタ・マクレイン、ジーナ・ゴールドマンの3人がフロイドをモデルに壁画を制作しました。壁画の背景には、警察に不当に殺害された黒人たちの名前が記されています。制作した3人は「彼の名前が記憶されるようにしたかった」「被害を受けた黒人の名前をすべて書くには、壁の面積が小さすぎた。これは、アメリカについてよく物語っている」と語っています。現在このウォーホルの作品とフロイドの死を悼む「BlackLivesMatter」の運動がちょうど重なりあっているのです。アメリカだけでなく、フランス、ドイツ、イギリス、日本でも人種差別に反対する抗議デモが行われました。特に、広大な海外植民地を獲得し、世界史上の最大版図を誇った過去のあるイギリスでは、植民地での搾取や奴隷貿易に反省の目が向けられました。壁画は、完成後数日でフロイド追悼の象徴となり、現場には花や「Black Lives Matter」と書かれた看板などが集まり続けています。
アメリカの美術館の対応
アメリカの美術館はどんな対応をしているのでしょうか。メトロポリタン美術館はSNSを通じ、フロイドの死を追悼。さらに、美術館スタッフに宛てたという手紙を公開。手紙には、黒人コミュニティとの連帯と、コレクションや展示を通して多様化を重視することを再確認するメッセージが書かれています。ニューヨーク近代美術館(MoMA)はSNSの投稿で、フロイドをはじめ、警察官によって殺害されてきた黒人の名前を挙げ追悼し、悲しみを共有しています。
シカゴ美術館では、1979年に亡くなった作家チャールズ・ホワイトの作品と作家の言葉を投稿。「アートは闘争のために不可欠な一部でなくてはならない。それは単に、出来事を映し出すだけではできない。人間のニーズに応じてアートは適応していかなければならない。自由と解放の力と協力しなければならない。事実、アーティストはいつもプロパガンディストでありつづけています。闘争と自分を切り離すアーティスト機関は用はない」という作家の言葉に基づき、美術館と闘争を切り離すことはできないと述べ、差別に立ち向かう姿勢を示しました。
国立学術文化研究機関「スミソニアン」は事件を受け、「人種」に関する国民の会話を広げるためのオンライン・ポータルサイト「Talking About Race」を新たに開設。ビデオ、学術的な記事、質問、その他100以上のマルチメディア資料を提供し、「人種」の差別とアイデンティティを掘り下げていく試みを行なっています。
このような悲劇は今回の事件のみならず、長年にわたって繰り返し行われてきました。これは「アメリカの黒人差別」という限定的な問題ではありません。歴史の中で自己の優位性を説くために様々な理由を用い、周縁化され、他者化されてきた、日本を含む世界中のあらゆる人々に関わる問題のほんの一例です。アートを通して抗議と変革の必要性を声にしてきたアーティストたち。アーティストだけでなく、私たちひとりひとりが自分の声を発するべきときなのではないでしょうか。
小野さんは「ウォーホルは思想的な“たくらみ”を隠し持っていたのでは?」といいます。同じく解説をしていた日高優さんによれば、ウォーホルは両親が東欧出身の移民であり、貧しい家庭で育ち、病気のために容姿にコンプレックスもあった「メインストリームに入れない」人。この自覚がウォーホルの強烈な上昇志向を作る一方で、格差や差別の存在を見過ごさない目を育てたのかもしれませんといっています。
ウォーホルの作品に影響を受けた若手アーティスト次々と現れています。

フェミニズムはアメリカの1960年公民権運動から始まりました。フェミニズムは、かつて男性が作った、男性による、男性のためのあらゆる枠組み、社会、経済、法律、日常生活、感性の領域に至る枠組みの中に、あきらかにはっきりと女性が人類の対等な相手として、参入し、そのことによって枠組み自体を大きく変えなくてはならないという、全体の枠組みのチェンジをめざすものです。
そしてその枠組みは、当然一部の人の女性拡張運動ではありませんし、一部の女の人の権利獲得のヒステリックな叫びでもありません。男性社会の中で女性の権利を拡張することはフェミニズムの中のほんの一部にしかすぎません。従来の西欧中心の近代社会の枠組みの中で導き出されてきた一絃的な価値基準というものを組み替えようという動きというのが最も本質的なことなのです。黒人差別、人種的偏見、いずれもフェミニズが許さないものです。

 

(これからしばらく病院生活が続きます。帰ってきましたら、また病院生活の様子などご報告いたします)

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